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福井ゆかりの人物を調べよう! 福井市立郷土歴史博物館
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  • 藩校はんこう  明道館めいどうかん(明新館めいしんかん)
 1855年(安政2年)に松平春嶽まつだいらしゅんがくによりひらかれた、福井藩の学校。儒学じゅがく、武術、歴史(日本・中国)、法律学ほうりつがく、算術さんじゅつ(数学、測量そくりょう、航海こうかい、砲術ほうじゅつなど)、医学、蘭学らんがく(オランダ語)などの学科がおかれました。
 300石以上の藩士はんし(さむらい)とその子どもで15歳以上40歳までの者は毎月10日は明道館で授業を受けるよう義務ぎむづけられました。
 1857年(安政4年)には橋本左内はしもとさないが「学監同様心得がっかんどうようこころえ」(現在の教頭先生のような役職)につき、蘭学科が「洋書習学所ようしょしゅうがくしょ」として大きくされました。
 1869年(明治2年)には「明新館めいしんかん」と名前が新しくされ、場所を移転して大きくなり、藩士だけでなく一般の人々も入学できるようになりました。
 1871年(明治4年)にはアメリカで日下部太郎くさかべたろうの先輩せんぱいでもあったW.E.グリフィスが福井に来て、明新館の理科の先生となりました。当時の明新館の生徒の数は800人ほどだったそうです。
 その後、「(旧制)福井中学校」となり、現在の県立藤島高校ふじしまこうこうへとつながっています。
 【写真】明治時代の明新館化学実験室かがくじっけんしつ(左)。グリフィスがこの建物で実験などの授業を行った。屋根に日本の建物には普通見られない明かり採り用のガラス窓や高い煙突えんとつがあるのがわかる。