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福井ゆかりの人物を調べよう! 福井市立郷土歴史博物館
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日下部 太郎くさかべ たろう  

年齢

できごと

1845年
(弘化2年)

1歳

福井藩士の八木家の長男として江戸町(現在の宝永4丁目)に生まれる。本名は八木八十八やぎ やそはち

1858年
(安政5年)
14歳 藩の学校・明道館めいどうかんでの成績せいせきが優秀ゆうしゅうで、藩主はんしゅ(とのさま)から賞をもらう。
1865年
(慶応元年)
21歳 英学えいがく(英語で西洋の学問をまなぶこと)を学ぶため、長崎にあった幕府の学校「済美館せいびかん」に入学。
1867年
(慶応3年)
23歳 福井藩の留学生りゅうがくせい第1号として、アメリカ・ニュージャージー州のニューブランズウィックにあるラトガース大学へ入学。アメリカへの出発にあたって「日下部太郎」と名前を変える。
大学ではW.E.グリフィスと出会う。
1870年
(明治3年)
26歳 卒業を目前にして病気で亡くなる。成績優秀だった太郎に対し、大学は首席卒業者しゅせきそつぎょうしゃ(トップの成績で卒業した人)の名簿めいぼに名前をのせ、賞としてゴールド・キーを贈った。

●こんなことをしました!
福井藩の留学生りゅうがくせい第1号!  はじめ西洋の学問(洋学ようがく)はオランダ語で学ばれていたが、しだいに英語が主流になった。福井でも英語で洋学を学ぶ必要性が高まっていた。1867年(慶応3年)にはそれまで禁止されていた留学りゅうがくが可能になったため、翌年、明道館でも長崎でも成績優秀だった太郎が留学することになった。

●エピソード
勝海舟かつかいしゅうの息子らと同窓生 どうそうせい  幕末から明治に活躍した勝海舟かつかいしゅうの息子や岩倉具視いわくらともみの息子ら、また横井小楠よこいしょうなんのおいなど、多くの留学生がラトガース大学で学んだ。
医者の目をぬすんで読書  留学時代、次第に病気が重くなり、入院した太郎だが、医者が読書を禁止したにもかかわらず、こっそり病室に本を持ち込んで読書を続けた。しかしある日医者に見つかってしまい、一切の本をとりあげられてしまった。

●読んでみよう!(福井市内の図書館などにあります)