年
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年齢
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できごと
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1807年
(文化ぶんか4年)
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1歳 |
福井藩士・中根孫右衛門まごうえもんの長男として福井城下に生まれる。
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1830年
(天保てんぽう元年)ころ |
24歳ころ |
福井藩の儒学者じゅがくしゃにから儒学を学び、江戸で平田篤胤ひらたあつたねから国学こくがくを学ぶ。 |
1838年
(天保9年) |
32歳 |
松平慶永(春嶽しゅんがく)が11歳で藩主はんしゅ=とのさまになる。中根はその教育係になる。 |
1853年
(嘉永かえい6年) |
45歳 |
ペリーが率いる黒船来航。鎖国さこくしていた日本に通商を求める。藩主の松平春嶽に開国を進言する。 |
1858年
(安政あんせい5年) |
50歳 |
安政の大獄。春嶽が藩主から引退したことにあわせ、福井藩の重役をやめる。 |
1862年
(文久ぶんきゅう2年) |
54歳 |
春嶽が幕府の政事総裁職になり、これを助け公武合体こうぶがったいをすすめるために活躍する。 |
1864年
(元治がんじ元年) |
56歳 |
福井藩が軍勢を率いて京都へ上洛し、新しい政治の仕組みを作る(挙藩上洛きょはんじょうらく)案に反対し、一時蟄居ちっきょ(謹慎処分きんしんしょぶん=家から出ずに閉じこもる)となる。 |
1868年
(明治元年) |
60歳 |
明治新政府の役職につくが、1年でやめて福井へもどる。幕末の出来事を記した書物をあらわす。 |
1877年
(明治10年) |
71歳 |
病気のため東京で亡くなる。 |