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福井ゆかりの人物を調べよう! 福井市立郷土歴史博物館
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笠原白翁かさはら はくおう  

年齢

できごと

1809年
(文化ぶんか6年)

1歳

足羽郡あすわぐん深見村ふかみむら(現在の福井市深見町)に生まれる。

1823年
(文政ぶんせい6年)
15歳 このころ福井藩の医学の学校「済世館さいせいかん」に入り、漢方医学かんぽういがくを学ぶ
1829年
(文政12年)
21歳 江戸に出て医学を学ぶ。
1832年
(天保てんぽう3年)
24歳 江戸から福井に帰り、木田町で医者の仕事を始める。
1836年
(天保7年)
28歳 加賀(石川県)の山中温泉で西洋医学を学んだ大武了玄おおたけりょうげんと出会い、自分も西洋医学をこころざす。
1840年
(天保11年)
32歳 京都の日野鼎哉ひのていさいに入門し、オランダ語で西洋医学を勉強する。
1845年
(弘化こうか2年)
37歳 しん(現在の中国)の書物から種痘しゅとう(天然痘てんねんとうの予防注射)のことを知る
1846年
(弘化3年)
38歳 天然痘のワクチンを輸入したいと福井藩に願い出る。
1849年
(嘉永かえい2年)
41歳 ワクチンを福井にもたらし、福井城下の浜町(現在の中央3丁目)の自宅横に仮の種痘所しゅとうじょをつくる。
1851年
(嘉永4年)
43歳 江戸町(現在の春山1丁目)に福井藩がつくった除痘館じょとうかん(公立の種痘所)がひらかれる。
1880年
(明治13年)
72歳 東京で亡くなる。

●こんなことをしました!
全国にさきがけてワクチンをひろめたよ!  長崎にもたらされたワクチンが京都に運ばれ、白翁の先生だった日野鼎哉の指導で京都除痘館じょとうかんがひらかれた。白翁もここで毎日接種を行った。これが全国的に種痘しゅとうがひろがるきっかけになった。
命がけでワクチンを運んだよ!  1849年(嘉永2年)の冬、京都から福井へワクチンを運ぶことになった。子どもの腕うでに植えつけ、そのまま連れて帰ることで生きたままのワクチンを運ぶという方法をとった。子どもたちといっしょに歩いて冬の栃ノ木峠とちのきとうげをこえなければならなかったが、雪がひどく遭難そうなんしそうになりながら、背丈せたけをこえる高さに積もった雪をかきわけて、なんとか福井に着いた。

●エピソード
種痘にたいする迷信めいしんと戦う  当時は「牛痘ぎゅうとう」といって牛の「かさぶた」からワクチンをつくっていたので、「種痘しゅとうをすると牛になってしまう」という迷信が広がっていた。白翁は「種痘問答しゅとうもんどう」という、ふつうの人にもわかりやすい解説書かいせつしょを出版したりして、ひろめることに努力した。

●読んでみよう!(福井市内の図書館などにあります)
  • 『若越山脈(じゃくえつさんみゃく)』第3集(編:青少年育成福井県民会議)