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福井ゆかりの人物を調べよう! 福井市立郷土歴史博物館
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橘 曙覧 たちばなのあけみ  

年齢

できごと

1812年
(文化ぶんか9年)

1歳 福井の石場町(現在の福井市つくも)に、文具や薬を売る商家の長男として生まれる。
1813年
(文化10年)
2歳 母親の鶴子が病気で亡くなる。母親の実家で育てられる。
1826年
(文政9年)
15歳 父親の五郎右衛門が亡くなる。妙泰寺(南越前町)で仏教や漢詩を学ぶ。
1829年
(文政12年)
18歳 京都の児玉旗山こだまきざんの塾で儒学を学ぶ。
1832年
(天保3てんぽう年)
21歳 三国の商家の次女、直子と結婚。のちに長女・次女が生まれるがすぐに亡くなる。三女の健子も4歳で天然痘にかかり亡くなる。
1839年
(天保10年)
28歳 商家の仕事を弟にゆずり、黄金舎こがねのや(現在の橘曙覧記念文学館の場所にあった家)と名付けた小さな家に移り住む※。
        ※移り住んだのは25歳の時、あるいは35歳の時という説もある
1844年
(弘化こうか元年)
33歳 飛騨高山ひだたかやま(現在の岐阜県高山市)の学者、田中大秀たなかおおひでに国学と和歌を学ぶ。
1848年
(嘉永かえい元年)
37歳 藁屋わらやと名付けた家(現在の照手2丁目)に移り住む。
1858年
(安政あんせい5年)~
47歳
福井藩主・松平春嶽中根雪江、笠原白翁らと和歌や学問をとおして交流する。春嶽から福井城で和歌を教えるよう頼まれるがことわる。
 1865年
(慶応けいおう元年)
 54歳  春嶽が藁屋を訪ねるが、あまりの粗末さにびっくりする。春嶽のすすめにより藁屋を志濃夫廼舎しのぶのやとあらためる。
 1868年
(慶応4年)
 57歳  明治に改元となる10日前、病気のため亡くなる。大安禅寺に葬られる。

●こんなことをしました!
「独楽吟」(どくらくぎん=ひとりたのしめるのうた)をつくったよ!  「たのしみは」で始まり、「・・・とき」で終わる和歌をたくさんつくりました。毎日の暮らしの中の素朴な楽しみをあらわしたものです。

●エピソード
正岡子規まさおかしきが曙覧の和歌を絶賛!  明治時代の俳人、正岡子規は曙覧の歌集「志濃夫廼舎歌集」に注目し、「源実朝みなもとのさねとも(鎌倉時代のすぐれた歌人)以後、歌人とよべるものは橘曙覧のみ」と絶賛しました。
アメリカのビル・クリントン大統領のスピーチで曙覧の歌が紹介されました。   1994(平成6)年6月13日、天皇皇后両陛下がアメリカを訪問した際、歓迎式典でクリントン大統領が曙覧の「たのしみは 朝おきいでて昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」という歌を紹介し、「100年以上も前によまれた歌ですが、その伝える心は時代を越えるものです。」と述べました。

●読んでみよう!(福井市内の図書館などにあります)