年
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年齢
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できごと
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1809年
(文化ぶんか6年)
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1歳 |
熊本藩士くまもとはんしの次男として熊本で生まれる
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1837年
(天保てんぽう8年) |
29歳 |
熊本藩の学校「時習館じしゅうかん」の居寮長(学生のまとめ役)になる。 |
1839年
(天保10年) |
31歳 |
江戸に出て学問を学ぶ。 |
1843年
(天保14年) |
35歳 |
「小楠堂しょうなんどう」という塾じゅくをひらき、弟子を育成する。 |
1849年
(嘉永かえい2年) |
41歳 |
福井藩の政治顧問せいじこもん(アドバイザー)になれる人物を探していた福井藩士の三寺三作みつでらさんさくが小楠の塾をおとずれる。 |
1852年
(嘉永5年) |
44歳 |
学校の設立を計画していた福井藩から頼まれ、どんな学校をつくるべきかをあらわした「学校問答書がっこうもんどうしょ」を提出する。 |
1858年
(安政あんせい5年) |
50歳 |
熊本藩の許可が下りて、福井藩の政治顧問せいじこもんとして正式に招かれる。 |
1860年
(万延まんえん元年) |
52歳 |
松平春嶽まつだいらしゅんがくをたすけ、福井藩の政治改革に取り組む。 |
1862年
(文久ぶんきゅう2年) |
54歳 |
幕府の政事総裁職せいじそうさいしょくについた春嶽をたすけ、幕府の政治改革に取り組む。 |
1868年
(明治元年) |
60歳 |
明治新政府の参与さんよという役職に任命される。 |
1869年
(明治2年) |
61歳 |
京都で暗殺される。 |