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福井ゆかりの人物を調べよう! 福井市立郷土歴史博物館
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由利 公正ゆり こうせい(きみまさ)  

年齢

できごと

1829年
(文政ぶんせい12年)

1歳

福井藩士の家に長男として生まれる。

1858年
(安政あんせい5年)
30歳 横井小楠よこいしょうなんの弟子として、一緒に九州を旅行する。
1859年
(安政6年)
31歳 小楠の指導で産業振興策さんぎょうしんこうさくをすすめ、長崎で交易こうえきをするため、出張する。
1863年
(文久ぶんきゅう3年)
35歳 「挙藩上洛計画きょはんじょうらくけいかく」(福井から軍隊をひきいて京都に入り、全国の藩主や朝廷の中心人物を集めて会議を開き、新しい政治のしくみをいっきに作ろうという計画)が失敗し、謹慎処分きんしんしょぶんとなる。
1867年
(慶応けいおう3年)
39歳 坂本龍馬さかもとりょうまが福井にやってきて公正と話し合い、龍馬から明治新政府で財政ざいせいを担当してくれるよう頼まれる。
1868年
(明治元年)
40歳 明治新政府の参与さんよに任命される。「五箇条の御誓文ごかじょうのごせいもん」の草案をつくる。 紙のお金「太政官札だじょうかんさつ」の発行を提案し、採用される。
1871年
(明治4年)
43歳 東京府知事とうきょうふちじに任命される。
1890年
(明治23年)
62歳 貴族院きぞくいん議員にえらばれる。
1909年
(明治42年)
81歳 死去。

●こんなことをしました!
福井藩の改革をすすめたよ! 政治顧問せいじこもん横井小楠よこいしょうなんの指導のもと、福井の産業を振興しんこうして庶民しょみんを豊かにする政策をすすめました。
「五箇条の御誓文」の原案をつくったよ! 明治維新後の国のあり方を示した「五箇条の御誓文ごかじょうのごせいもん」の原案である「議事之体大意ぎじのていたいい」を書きました。

●エピソード
坂本龍馬と仲良し 坂本龍馬さかもとりょうまとは仲良しで、龍馬が京都で暗殺あんさつされる直前にも福井にやってきた龍馬と将来しょうらいについて語り合っている。
挙藩上洛きょはんじょうらくとは 1863年(文久3年)に計画された、福井から4000人の軍隊ぐんたいをひきいて京都にのぼり、朝廷ちょうていを中心にして幕府・全国の藩主・外国の公使こうしまで含めた会議をひらき、幕府に代わるあたらしい政府のかたちを一気につくってしまおう、という計画。横井小楠よこいしょうなんや由利公正らが積極的せっきょくてきに進めたが、結局中止となってしまった。もし成功していたら福井藩が新政府の中心的存在になっていたかもしれない。

●読んでみよう!(福井市内の図書館などにあります)
  • 『若越山脈(じゃくえつさんみゃく)』第1集 (編:青少年育成福井県民会議)