年
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年齢
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できごと
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1835年
(天保6年)
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1歳 |
土佐藩とさはん(現在の高知県)の下級武士かきゅうぶし(郷士ごうし)の次男として高知こうちで生まれる。
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1853年
(嘉永6年) |
19歳 |
江戸に出て剣術けんじゅつと学問の修行しゅぎょうをする。 |
1853年
(嘉永6年) |
19歳 |
黒船来航くろふねらいこう。龍馬は土佐藩士として江戸品川えどしながわにあった土佐藩の屋敷やしきの警備けいびにつく。 |
1855年
(安政2年) |
21歳 |
ふたたび江戸に出て剣術と学問の修行をする。 |
1862年
(文久2年) |
28歳 |
土佐藩を脱藩だっぱん藩士はんし(さむらい)の身分を捨てて土佐から出る)。
江戸で前福井藩主・松平春嶽まつだいらしゅんがくと面会。
春嶽の紹介で勝海舟かつかいしゅうに面会めんかいし、弟子になる。 |
1863年
(文久3年) |
29歳 |
幕府が神戸海軍操練所こうべかいぐんそうれんじょ(幕府の海軍の学校)の設立を認めるが、資金が足りないので、龍馬が福井藩へ資金を貸してくれるよう頼み、松平春嶽から1000両(一説には5000両)を貸してもらう。 |
1865年
(慶応元年) |
31歳 |
薩摩藩(現在の鹿児島県)が資金を出し、龍馬らが「亀山社中かめやましゃちゅう」(現在でいう商社のようなもの)を設立する。 |
1866年
(慶応2年) |
32歳 |
龍馬らの仲介で、薩摩藩と長州藩が盟約をむすぶ。 |
1867年
(慶応3年) |
33歳 |
「亀山社中」から「海援隊かいえんたい」と名前を変える。
新しい政府の基本方針の案「新政府綱領八策しんせいふこうりょうはっさく」をつくる。
福井にやってきて由利公正ゆりこうせいと新しい政府のことについて話し合う。
京都で暗殺される。 |