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福井ゆかりの人物を調べよう! 福井市立郷土歴史博物館
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佐々木 長淳 ささきながあつ  

年齢

できごと

1830年
(文政ぶんせい13年)

1歳 福井藩士・佐々木家の長男として福井城下で生まれる。
1854年
(嘉永かえい7年)
25歳 大砲や銃の取り扱いを勉強するよう命令を受け、江戸で勉強する。ペリーひきいるアメリカ艦隊(黒船)が2度目の来航。黒船に乗り込み、船の士官たちたちと交流、船内の様子を調査した。
1857年
(安政あんせい4年)
28歳 三岡八郎(由利公正)とともに福井城下の志比口などに建てられた軍事工場の責任者となり、火薬や銃器の製造に取り組む。
 1858年
(安政あんせい6年)
 29歳 洋式帆船「一番丸」を完成させる。 
1867年
(慶応けいおう3年)
38歳 横浜港より船でアメリカへ渡り、ジョンソン大統領、グラント将軍らと面会する。アメリカの南北戦争で使われた武器を安く購入して日本に持ち帰る。
1872年
(明治4年)
43歳 明治新政府の工部省に入省。製糸場の建設に尽力する。
1874年
(明治6年)
45歳 ウィーン万国博覧会に事務官として参加。日本館の建設の指揮をする。ヨーロッパ各地の養蚕ようさんと製糸の技術を視察する。
1875年
明治7年)
46歳 新宿試験所養蚕係長として養蚕の研究を進める。
1876年
(明治9年)
47歳 ヨーロッパで得た知識をもとに紡績所(くず糸などから絹糸をつくる工場)の建設を指導し、所長となる。→旧新町紡績所(群馬県高崎市)の建物は現在国指定重要文化財。
1879年
(明治12年)~
50歳~ 皇室の御養蚕御用掛としてつとめるほか、養蚕に関する研究を続ける。
 1916年
(大正5年)
 87歳  病気で亡くなる。

●こんなことをしました!
西洋の進んだ技術を積極的に学び、日本の産業に活かす 福井藩士時代は主に軍事、明治になってからは養蚕や製糸業の技術を研究、海外にも渡って積極的に知識を取り入れ、日本の産業の発展に尽くしました。

●エピソード
黒船に乗り込んで調査 25歳のとき江戸で勉強していた長淳は、まだ英語ができませんでしたが、来航したアメリカの軍艦(黒船)に乗り込み、身振り手振りで乗員たちとコミュニケーションし、いろいろな情報を手に入れたほか、剣術を披露してアメリカ人を感心させたという話がのこっています。
日本ではじめての自転車を組み立てる 文 久2(1862)年に、松平春嶽は日本で初めて自転車(ビラスビイデ 独行車どっこうしゃ)に乗ったとされていますが、 この自転車を組み立てたのは佐々木長淳でした。


●読んでみよう!(福井市内の図書館などにあります)
  • 『ふるさと福井の先人100人』(福井県教育委員会)
  • 『これき人物シリーズ3 ふくいの先人たち 幕末』(福井県立こども歴史文化館)