幕末の福井藩主・松平春嶽まつだいらしゅんがくは、アメリカの艦隊かんたい(黒船くろふね)をひきいたペリーがやってきたことにおおきな関心かんしんをもち、家来を派遣はけんして黒船やそれに乗ってきた人々の様子を調べさせ、詳しく記録して「合同舶入相秘記ごうどうはくにゅうそうひき」という本をのこしました。
「合同舶ごうどうはく」とはアメリカ合衆国の船、「入相」とは相模国さがみのくに(現在の神奈川県)に侵入しんにゅうしたという意味。安政元年(1854)にペリー艦隊が2度目にやってきた時の記録。一部家来が写した部分があるが、大半は春嶽が自身でかいたもの。横浜沖に来航した黒船の様子や上陸した兵たちの服装や持っていた道具など、きれいに色を塗った見取り図でくわしく記しています。
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