- 「少年藩主への贈りもの」
- ・太刀 銘 恒次 (福井市春嶽公記念文庫)
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- ・御大切之御細工物 (福井市春嶽公記念文庫)
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- 徳川家斉・家慶父子→松平春嶽
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- 松平春嶽が16代福井藩主となったのは天保9年(1838)、11歳のことでした。春嶽はこの年の11月23日に初めて江戸城に登り、江戸城大奥で前将軍徳川家斉(いえなり)と12代将軍徳川家慶(いえよし)に面会し、太刀や細工物などを拝領しました。徳川家斉は春嶽にとって叔父、家慶は従兄弟にあたり、家斉の息女・浅姫は14代福井藩主松平斉承(なりつぐ)正室となっており、親しい血縁・姻戚関係にありました。
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- 「うちの名品をどうぞ」
- ・薩摩切子 紅色被鉢
- (越葵文庫)
薩摩藩主島津家→福井藩主松平家
- 薩摩切子は薩摩藩を代表する美術工芸品として、将軍家や諸大名への贈答品として用いられました。越前松平家に伝来するこの紅色ガラスを被せた鉢は、島津家から親交の深かった越前松平家に贈られた可能性があります。使用した形跡もなく、希少な品として大切にされたのでしょう。今回が県内初公開です。
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- 「よろしくたのむぞ」
- ・刀 無銘 初代康継
- (個人蔵 当館保管)
(伝)永見右衛門→結城秀康
…松平春嶽→横井小楠
- 文久元年(1861)、安政の大獄による処罰を受け江戸霊岸島邸に幽閉中の松平春嶽は、熊本藩から政治顧問として招いていた横井小楠の講義を受け、その後福井に戻る小楠にこの刀を贈りました。小楠による鞘書には、この刀が初代藩主秀康以来の松平家伝来の刀である旨記されています。それは小楠への信頼と、彼へのさらなる期待のあらわれといえるでしょう。その後文久2年に謹慎を解かれた春嶽が政治総裁職として幕政に参画する際、小楠は幕政の改革指針となる「国是七条」を建策しています。
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- 「いつもありがとう」
- ・帷子 白麻地浜松桜模様
- (個人蔵 当館保管)
- 松平斉承夫人浅姫→福井藩医
- 藩主やその夫人たちが使った衣装や身の回りの道具は、家臣や侍女への褒賞として贈られることもありました。この帷子(かたびら)は14代藩主斉承夫人浅姫から福井藩医の家に贈られたもので治療の礼であった可能性もあります。
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- 「親愛のしるし」
- ・釈迦三尊図 狩野探幽筆(大安禅寺)
松平光通→大愚宗築
- 明暦3年(1657)、21歳の4代藩主松平光通は、当時臨済宗の名僧として知られた大愚宗築と出会います。光通は大愚禅師をを人生の師として慕い、73歳の禅師を開山に迎え万治元年(1658)に永代菩提所として大安禅寺を建立しました。同年、江戸の光通から大安禅寺の大愚禅師にあてた書状では「お約束していた探幽筆の三幅一対が完成しましたので福井へ戻る家臣に持たせます」と述べており、この作品がそれにあたると考えられます。
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