皇女和宮の江戸降嫁の行列、14代将軍徳川家茂の上洛の行列は、幕末という時代の象徴として様々な形でその様子が描かれました。本展では、二人の行列を描いたきらびやかな絵巻物や屏風、和宮所用の打掛や道具類、家茂所用の甲冑などを一堂に展示します。
さらに、当時の政局に深く関与した16代福井藩主松平春嶽をはじめとした福井藩の関係資料と、さらに幕府の滅亡を予見した坂本龍馬の書簡を展示し、一つの時代が終わりゆく過程と福井藩の関わりを明らかにします(第1会場)。
また、江戸後期からの大名行列について福井藩と加賀藩の参勤交代を取り上げ、その実態と特徴にせまります(第2会場)。
|
開催概要 |
|
会 期 |
10月12日(土)~11月24日(日)
開館時間:午前9時~午後7時、11月6日以降は午後5時まで
※11月5日(火)は休館いたします |
|
会 場 |
福井市立郷土歴史博物館 |
|
観 覧 料 |
一般700円、高校・大学生500円、中学生以下無料
・70歳以上の方、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている方とその介助者の方は、無料でご覧いただけます。
・ 特別展観覧券で、平常展示および養浩館庭園もご覧になれます。
・友の会優待観覧券で観覧できます。
・有料入場者20名以上の団体は2割引きとなります。
|
|
主 催 |
福井市立郷土歴史博物館、芸術文化振興基金 |
共 催 |
福井新聞社 |
後 援 |
FBC福井放送、福井テレビ、FM福井、福井ケーブルテレビ、さかいケーブルテレビ、福井街角放送 |
|
|
主な展示資料 ⇒展示解説シート(出展目録含む)はこちら |
|
●第1章 和宮の江戸降嫁と婚礼
日米修好通商条約の締結をきっかけとした朝廷と幕府との対立は、皇女和宮を幕末政局の渦に引き込むこととなりました。
和宮降嫁の行列は、「公武合体」によって動揺した「公儀」権力の回復を国内外に喧伝しようという政治的な背景から、江戸時代の中でも他に類を見ない大規模な行列となり、付き従った武士や沿道の人々に強烈な印象を与え、絵巻物や摺物により世間に伝えられました。
また、降嫁の際に仕立てられた婚礼調度品の数々は、内親王としての格式と権威を示すとともに、幕府と朝廷の融和を表わす意匠が各所にちりばめられています。
(写真左:白綸子地雲立涌菊折文様打掛 和宮所用/右:黒塗葵葉菊紋散花桐唐草蒔絵文台・硯箱 和宮所用 いずれも徳川記念財団所蔵)
|
|
●第2章 将軍家茂の上洛と松平春嶽
14代将軍徳川家茂の治世には、文久・元治・慶応年間の3回におよぶ将軍の上洛が行われました。この将軍上洛に際しては、行列の様子を描いたさまざまな錦絵が刊行され、「攘夷」を率いる将軍、「国事」に尽くす将軍というイメージが世間に広まっていきました。このような能動的・積極的な将軍像が世間にアピールされた背景には、家茂の下で政事総裁職を務めた松平春嶽の関与がありました。
(写真左:萌葱絲威具足 徳川家茂所用 久能山東照宮所蔵)
(写真右:軍扇 徳川家茂所用 久能山東照宮所蔵) |
|
●第3章 長州出兵と松平茂昭
禁門の変によって「朝敵」となった長州藩に対し、将軍家茂は西国諸藩に出兵を命じ、尾張藩元藩主徳川慶勝を総督、福井藩主松平茂昭を副総督として第一次征長軍が組織されました。
長州藩の降伏で福井藩も戦火を交えることなく撤兵することとなりましたが、その後長州藩で高杉晋作を中心とする武力抗幕政権が生まれたことなどから、幕府は長州への第二次出兵を決定、家茂自ら大坂城へと進発しました。その際には徳川家康の遺品である金扇の大馬印が掲げられるなど、関ヶ原の戦い以来の徳川家の武威を象徴する行列が仕立てられました。
しかし長州藩の抗戦に苦しめられ、事態を打開できぬまま家茂は大坂城で病死。家康以来の武威を失った幕府は坂本龍馬の予見どおり崩壊への道を進むことになります。
(写真上:副将府証木製印 松平文庫 福井県立図書館保管/右:三吉慎蔵宛坂本龍馬書簡 複製 下関市立歴史博物館寄託) |
|
●第4章 加賀藩・福井藩の参勤交代と大名行列 (第2会場:1階 松平家史料展示室)
江戸時代を通じて行われた大名の参勤交代において、諸大名はその家格や武威を誇示するために長大な行列を組みました。加賀藩の場合は約2,000~4,000人、福井藩の場合は1,000人ほどの規模を誇りました。
こうした大名行列は、道中での戦闘に備えた部隊編成としての性格も兼ね備えていました。
(加賀藩大名行列図屏風 石川県立歴史博物館所蔵)
|
|
関連催事 |
|
|
|