1858年(安政5年)から59年にかけて、江戸幕府が尊皇攘夷運動そんのうじょういうんどうに対しておこなったはげしい弾圧だんあつ。
幕府が朝廷ちょうていの意見を無視むしして日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやくをむすんだことを批判ひはんして当時の将軍・徳川家定とくがわいえさだのあとつぎを優秀な人物との評判が高い徳川慶喜とくがわよしのぶにすべきとする大名やその家臣、学者など100名以上を、当時幕府の大老であった井伊直弼いいなおすけが中心となって徹底的に処罰しょばつした。
福井藩関係者では、藩主の松平春嶽まつだいらしゅんがくが隠居(引退させられること)、謹慎きんしん処分となり、家臣の橋本左内はしもとさないが危険人物きけんじんぶつとして死刑しけいになった。 |