徳川 家茂とくがわ いえもち
江戸幕府の第14代将軍。将軍になる前は御三家ごさんけのひとつである紀州藩きしゅうかん(今の和歌山県あたり)紀伊徳川家の藩主はんしゅだった。もとの名前は徳川慶福よしとみ。
外国と結んだ条約じょうやくや将軍のあとつぎなどの問題をめぐって、徳川慶福を推薦すいせんする幕府の大老たいろう・井伊直弼いいなおすけと、徳川慶喜よしのぶを推薦する薩摩藩主さつまはんしゅ・島津斉彬しまづなりあきらや福井藩主・松平春嶽まつだいらしゅんがくらが対立したが、最終的には慶福側が勝利して将軍のあとつぎとなる。このとき、反対派であった人物を井伊直弼は徹底的てっていてきに弾圧だんあつした(安政の大獄あんせいのたいごく)。
桜田門外の変で井伊直弼が亡くなった後、 幕府は公武合体こうぶがったいをすすめ、1862年(文久2年)には孝明天皇こうめいてんのうの妹・和宮かずのみやと結婚する。
1866年(慶応2年)、第二次長州征討だいにじちょうしゅうせいとうのため、江戸から大坂へ出陣したが、病やまいのため21歳で亡くなる。 |