福井ゆかりの人物を調べよう!
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福井ゆかりの人物を調べよう!
禁門の変
きんもんのへん
1864年(元治
がんじ
元年)、京都御所
きょうとごしょ
(天皇のすまい)周辺でおきた戦闘
せんとう
。その前年に京都から追放
ついほう
された長州藩
ちょうしゅうはん
(現在の山口県にあった藩。
尊皇攘夷
そんのうじょうい
を強く主張していた)が、数千の軍隊で京都に進軍
しんぐん
し、
公武合体
派
こうぶがったいは
の幕府
ばくふ
や会津藩
あいづはん
(現在の福島県
ふくしまけん
西部にあった藩)・薩摩藩
さつまはん
(現在の鹿児島県にあった藩)の勢力を朝廷
ちょうてい
から排除
はいじょ
しようとしたが、戦いに敗
やぶ
れて退却
たいきゃく
した。
その後、長州藩は朝廷に反抗
はんこう
した「朝敵
ちょうてき
(朝廷の敵)」とされ、幕府が全国から軍をあつめて長州藩を攻めた「第一次長州征討
だいいちじちょうしゅうせいとう
」が行われた。
現在でもはげしい戦闘が行われた「蛤御門
はまぐりごもん
」がのこっており、当時の銃弾
じゅうだん
のあとがのこっている。
現在の蛤御門
(wikipediaより)
門にのこされた銃弾の跡
(wikipediaより)
福井藩もこの戦闘に参加しており、1100人あまりの兵隊で御所
ごしょ
を守って長州藩と戦った。福井藩士の村田氏寿
むらたうじひさ
がこの戦いのとき、敵の銃弾をうけてけがをしており、そのときの銃弾が今でものこっている。