ウィリアム・エリオット・グリフィス
明治時代初め、アメリカから福井藩ふくいはんに招かれて藩の学校・明新館めいしんかんで理科の授業を教えた外国人教師。福井藩で最初に勉強のため海外に渡った日下部太郎くさかべたろうがアメリカ・ニュージャージー州ラトガース大学の学生となったとき、太郎の先輩せんぱいとして親しく交流し、太郎の祖国そこく・日本に興味きょうみを持ったという。
福井の明新館では、天井に窓まどのついた明るい理科室や、大きな窓のある実験室を設計した。これらは日本で最初のアメリカ式理科実験施設りかじっけんしせつだったという。
1871年(明治4年)の廃藩置県はいはんちけんで福井藩がなくなり、グリフィスも福井をはなれ、由利公正ゆりこうせいらにお願いされて大学南校だいがくなんこう(のちの東京大学)の教師きょうしとなった。
1875年(明治8年)にアメリカに帰り、日本の歴史や文化、日本でのグリフィス自身の体験などをまとめた本を出版し、日本のことを広くアメリカやヨーロッパに紹介した。 |