秀康と合戦


結城秀康三将像(写真)
結城秀康部分
 
 
武生市 龍泉寺蔵
しろじうんもんあおいもんちらしにしきこばかま
白地雲文葵紋散錦小袴

伝結城秀康所用
 
江戸時代
 
越葵文庫 松平宗紀氏蔵
具足<ぐそく>の下につけるための袴<はかま>である。散らされた葵<あおい>の紋は江戸時代初期の形式をとり、久能山東照宮<くのうざんとうしょうぐう>に伝来する徳川家康遺品のものとよく似ている。
竹鞭
伝結城秀康所用
 
江戸時代
 
越葵文庫 松平宗紀氏蔵
竹の根を用いた常用の鞭で、「黄門<こうもん>秀康公御鞭」と記された桐箱に入れられ保存されている。竹の節の数は27あり、これは偶数を不吉、奇数を吉兆<きっちょう>として信じられていたことに基づいている。

伊達政宗書状
結城秀康宛
 
慶長5年9月28日
 
 
越葵文庫 松平宗紀氏蔵
伊達政宗<だてまさむね>が結城秀康へ送った書状である。関ヶ原の合戦は東軍の勝利に終わったが、東北地方では上杉景勝<うえずぎかげかつ>が最上<もがみ>氏を攻めるなど、依然として戦闘状態が続いていた。上杉氏と交戦中の政宗は秀康と連携を組んでおり、政宗は秀康へ戦況を知らせて家康への取り成しを頼んでいる。時期は慶長5年(1600)と推定される。
ぞくへんろうき
続片聾記
山崎七郎右衛門著
 
江戸時代
 
当館蔵

福井藩大馬印
 
江戸時代
 
 
越葵文庫 松平宗紀氏蔵
馬印<うまじるし>とは、武将が陣中での存在場所を示すため、その馬側に捧げ持たせた長柄の作り物のことである。福井藩の大馬印は、「銀の棒」と呼ばれる円筒形の作り物の上部に笠を付けたもので、これは元来「巻絹<まきぎぬ>」と号して結城以来用いてきたものと伝えられている。

福井藩纏
 
江戸時代
 
 
越葵文庫 松平宗紀氏蔵
<まとい>とは、陣中で大将の脇に立て隊兵の所在を示すのぼり旗である。福井藩の纏は白地に日の丸のもので、結城以来用いてきたものと伝えられている。


1.秀康の前半生2.秀康と越前入封3.秀康と合戦4.秀康にまつわる遺品5.秀康の霊廟と松平春嶽

目次へもどる