越前入封四〇〇年記念

結城秀康

 越前松平家の初代結城秀康<ゆうきひでやす>が、慶長六年(1601)に現在の福井に初入国してから、今年でちょうど400年目を迎えます。秀康は、入国するとすぐに北庄城<きたのしょうじょう>(のちの福井城)の修築とこれを中心とした城下町の建設にとりかかり、現在の福井の基礎がここに築かれることとなりました。福井市立郷土歴史博物館ではこの節目の年を記念し、福井に遺る秀康関係の史料を一堂に集め、越前入封四00年記念特別陳列「結城秀康」を開催いたしました。

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1.秀康の前半生
 結城秀康は天正二年(1574)徳川家康の次男として誕生した。同十二年、小牧・長久手<こまき・ながくて>の戦いの後、羽柴秀吉の養子となり、さらに同十八年、結城晴朝<ゆうきはるとも>の養子となって結城十万一千石を相続した。

2.秀康の越前入封
 慶長五年(1600)秀康は越前六十八万石を拝領した。翌年初入封した秀康は領内各地に重臣達を配置すると共に、北庄城(福井城)の修築普請<しゅうちくぶしん>を行い城下町を整備した。

3.秀康と合戦

 秀康は天正十五年(1587)に秀吉の九州征伐に従って初陣を果たした。慶長五年(1600)には上杉景勝の押さえとして下野国<しもつけのくに>小山<おやま>に在陣した。秀康ゆかりの武具馬具が伝えられている。


4.秀康にまつわる遺品

 越前松平家の伝来品には、秀康の遺品を加え、弟にあたる徳川秀忠の遺墨も含められている。秀忠が秀康の体調を気にかけ養生するよう促がす内容の書簡は、兄弟の関係をよく伝えている。


5.秀康の霊廟と松平春嶽

 安政三年(1856)4月6日より8日迄、松平春嶽<まつだいらしゅんがく>により、運正寺<うんしょうじ>において秀康の二百五十回忌法要が執り行われた。これにあたり老朽化していた霊廟(浄光院殿<じょうこういんでん>)に、修築整備が施された。


※1.結城秀康 略年譜
※2.「結城秀康」 展示目録

 
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